テブクロ

手袋

 「血塗られた手袋の話というのがあってナア──。」

 小林は、そう言いながら、ゆるいカーブにハンドルを合わせた。山道の小道を走るのに、少しもスピードに遠慮がないのだから、助手席の私にも遠慮がないのは仕方がないのかもしれない。

 「こういう山道を走っているとナ、ふと、道路の脇に真っ赤に染まった手袋が落ちていることがあって、それを見てしまった奴が、必ず事故を起こすというらしいから、笑っちまうよナア、ハハハ。」

 小林は、兎に角、思い出したことを口にせざるを得ない性癖の持ち主らしい。

 「その手袋がナ、何故血まみれというとナ、なんでも、山道で車同士の衝突があってナ、一台は、ガラの悪いアンチャンのトラック、もう一台は夫婦と、子供一人の三人家族の乗用車にそれぞれ乗っていて──ガラの悪い方が『下り側』から勢いよく乗用車にぶつかっていったものだから、そのぶつけられたほうはタマラナイ、──ア、という間にガードレールを突き抜けて、崖を転落──。」

 「で、残念ながら、全員逝ってしまったんだが、死体の回収が難儀を極めた。というのも、トラックのアンチャンと、家族連れの夫婦の方はシートベルトに引っかかっていたために、車ごと難なく発見されたのだが、後部座席に乗っていた子供は、崖からの転落時にガラスを割って勢いよく森の中に飛び込んでしまったナ、死体の迷子になっちまったんだ、ハハハ。勿論、迷子の子猫ちゃんを探すのが警察の仕事だからナ、ナントカカントカ捜索したんだが、何しろ、死体がパズルのようにばらばらになってしまっていてナ、──アレがコレだ、コレが、アレだとくっつけてみても、何かが足りない──ア、左手だ──と判ってみても、結局、それ以降一向に見つからなかったって言うんだ──フフフ、察しの良い君なら皆まで言わなくても判るだろう。」

 「はあ。」

 「ハハハ、──ソウソウ、それが血塗られた手袋の正体ってワケだ。その事故の後に、この道を通る自動車に度度目撃されるラシイ。」

 「エッ、──こ(、)の(、)道(、)ですって──。」

 それで、小林が急にこの話をし始めたのかが合点がいった。小林は、恐らく同乗した者なら誰だろうと構わずこの話をしているのだろう。そう思い至ると、興ざめしてしまった。

 が、次の瞬間──。

 小林が突然ブレーキを踏んで車を止めたので、何事かと思いしいしい、路上に目を見やると、──。

 そこには、真っ赤な手袋が落ちていた。

 「ヒイ──。」

 私は、声をあげて思わず反射的に目を背けてしまった。が、運転席の小林は飄飄とそれを眺めていた。

 「フウ──路上に出てくるナヨ。サッサと行かないかナア。」

 私は何かの冗談と思い、フロントに向きなおすと、──手袋がゆっくりと動き出していたのだ。

 私はもう一度絶句を上げた。──今度は、あまりの恐ろしさに、目を背けることもできず。

 手袋はそろりそろりと路上の右側から左側──崖の方へとゆっくりと移動して行き、ガードレールの下をくぐり、崖から落ちたのか、ふっと目の前から消えてしまった。

 「フウ──なんてノロイんだ。弱っているのかナ──。」

 「あれは、──」と、私は上ずりながら声を荒げた。「あれは、一体全体何なんです? 子供の呪い──マサカ、子供の手が自分の体を捜しているのでは。」

 「ハハハ、鈍いと呪いをかけているのか。フフフ、君の発想はナントモ素敵だね。ヒヒヒ、体を求めて動いているのか、フフフ、そりゃ傑作だナ、今度話すときにはそれも付け加えないといけないナ、フウム。」

 「エッ──、ジャア、アレは何なんです? 」

 「何って、ヤダナア、手袋だったじゃないか。」

 「デッ、デモ、手袋が動くはずないじゃないですか。」

 「面白い発想をするのに、些細な事に気がつかないんだナア。穴の開いた手袋に小動物が入っているだけだろ──野ネズミとか、ナ。──それよりも、ドウして、手が体を捜すのだ? 体が手を捜しても良いだろう──ナア。」

 「はあ。」

 手袋の中に動物が入っていた──確かにソウ言われて見ればソウかもしれない。若しくは、この手袋が初めて目撃されたときに付随してこのような「血塗られた手袋」の噂が広まったと考えられなくもない。

 が、しかし──すぐに、別の疑問が私の思考を過ぎった。手袋の中に入っていた動物は何故、崖に落ちていったのだろう。

 車は、山沿いのカーブを更に突き進んで行った。小林の話も脇道へと加速してゆく。が、私の脳裏からは先程の手袋の残像が焼きついて離れなかった。

 そして、手袋が崖の下の、これから私達の通る道を先回りしていないことを願った。

 

平成十七年三月二日