ジドウハンバイキ

ジドウハンバイキ

「──しかし、和田の奴、本当に仕事をする能力があるのかネ。知ったかぶりをして、アアでもない、コウでもないと、とやかく指図しやがって──ナア。」

「はあ。」

 私はまたも間延びした、間抜けな返答を漏らした。これでかれこれ数十回はこの調子の返答をしているように思う。それで会話が成り立つのだから不思議だ。小林は無関心を剥き出しにしている私の声色を咎めるばかりか、さらに気を強くして話を続けようとする。私に愚痴をこぼしてストレスの軽減をはかっているのかもしれない。こちらとしては良い迷惑だ。

「──それでいて無能のアンポンタンなんだぜ。部下の俺に直接聞いてこなかったが、竹内──アア、君はまだ顔と名前がすっかり一致しないのだな。──エエット、竹内ってのはあの薄ら大きい眼鏡を掛けた、化粧の濃い三十路女だ。──ソウソウ、眼鏡のふちが茶色で、──オオット、」

 そう言うと、小林はハンドルをふるんと左方に回して、さらに小さな路地に入っていった。左折の揺れで、私の抱きかかえていた赤子を大きく揺れ動かしてしまったらしく、ぎゃあぎゃあと泣き出してしまった。

 赤信号に引っかかると、再び上ずった声で話を続けた。

「エエット、どこまで話をしたのかな──ナニ、竹内の事だと、──ソウソウあの女、先週男に振られたからといって、子供の飼育をそっちノケでわあんわあんと泣き叫んだ挙句、しょうがなく宥めた俺の顔を見つけて『アラ、こんなところにも良い男がいるじゃない。』と、御気楽な事をぬかしやがったんだよ。ハハハ──。ナニ、さっきしていたのはそんな話じゃないって? ──それにしても赤子がウルサイナ、──そんなに、喚かれては気が散るナア。──」

「はあ。」

 何の気が散るのか理解できなかった。小林はこんなたわいもない話をするのに意識を集中しているのだろうか。そのような気を使うのならもう少し御手柔らかな運転を心掛けてもらいたいものだ。

 私はそう思いながら、おぼつかない抱き方で、赤子を揺らしてナントカしようとつとめた。──ただ、こんな揺れの中では、ほとんど効力を得られなかったのだが。暗闇の中でちらちらと横切る不気味なネオンの発光が、赤子の恐怖を深めているのは疑いない。

 私と二年先輩の小林は、勤め先の孤児院の裏に流れる川の土手で、今夜催される夏季恒例の焼肉パーティ用の肉の買出しを仕向けられた。大人が堂々と焼肉をする姿は、至極教育上に悪影響であろう。毎年、子供の寝床の窓の外で、じゅうじゅうと肉を焼き、ごくんごくんと酒を飲んで大声で喚いているというのだから悪態極まりない。

 そもそも、何故、竹内は私に赤子を手渡したのだろう。そうして、私の膝の上に乗っているのだろう。この赤子はこの間、孤児院の門の前にちょこんと置き去りにされていたのだ。──この子と焼肉に何の関係があるのだろう。両親の所在が判ったから、ついでに途中で下してゆくとでもいうのか。

 ぎゃあぎゃあという騒音の中、車は右折してかなり細い道に入り込む。辺りのネオンがすっかりと遮断され、対向車の量もがくんと失せた。どうやら、市街地からも遠のいたようだ。灰暗い街灯がグングンと迫り、後方に消えて行く。方向感覚がないためか、この暗闇の中で何処まで来ているのか、てんで判然としない。そもそも、この辺りに私の土地鑑が通用するのか疑わしいが。

「アア、アア、思い出した。──」そう言うと、小林の気難しそうな表情は、一変して快活な顔になった。細い目を、さらに尖らせながら、鼻をひくひくとさせている。先ほどから気になっていた話を思い出して、余程気を良くしたのだろう。「和田の野郎はアア見えてもいろいろな女に手を出していてナ。──」

 さらに右折、左折を繰り返すと、辺りは街頭も失せて、窓に明かりの点らないしんみりとした処に至った。「肉を買いに行く」というのだから、てっきり商店街の一角の肉屋にでも行くのかしらんと勘をくぐっていたが、それらしい場所はトウに通り過ぎてしまっていた。小林の口からは未だふつぶつと愚痴が漏れているので、目的地にきちんと鼻を向けているのかドウだか疑わしい限りだが、──このような寂れた場所に舞い込んでも飄々としているあたり、どうやら当てずっぽうでもないような気もする。

 ソウコウするうちに、我我の乗り込んでいた車は、鬱蒼としたビルに囲まれて暗く覆われ何ともひっそりとした場所に止まった。車のエンジン音と同時に小林の愚痴話もぴたりと止んでしまったので、辺りに響くのは赤子のわめきばかりでドウにも気味が悪くなってきた。

 小林は急に厳つい顔をすると、私の膝の上に乗せられた赤子を引ったくり、車のドアを開けて無言で車内から降りた。で、私のほうを振り返りもせずにさっさと闇間に向かって歩み出したので、私は、このような場所で一人残されてはたまらないとバツが悪そうにそそくさと車から降りると、小林を追いかけた。月明かりに照らされなかったのなら、とうにその後ろ姿を見失ったのに違いない。

 ぎゃあぎゃあぎゃあ、──遠巻きに赤子の泣き声がビルに反響して、四方八方から私に襲い掛かる。その声に軽い眩暈を感じながら、前方の目標物を必死に捕らえる。こんなところで小林を見失ったのなら、無事にたどり着くどころか、帰ることさえもできなくなってしまう。──そもそも、どうして車から這い出てこんな処をさ迷っているのだろう。車の中でおとなしく待っていれば良かったものを。

 小林が入り組んだ道に入り込み、眼界から消える度、イイようのない不安と恐怖と後悔が押し寄せる。逆に、いよいよその姿をしっかり前方に捉えることができると、イイようのない安堵感に満たされる。──再び視界から遠のいたときに、更なる恐怖となるのを何遍も味わったのにもかかわらず。

 いたちごっこを暫く繰り返すと、とうとう静止している小林の姿を捉えることができた。ぜいぜいと乱れた呼吸の調子を整えながら、ゆっくりと近づく。小林は何かをぶつぶつと言いながら、慄然たる大きなビルの下で発光する箱と対面している。箱──いや、それは自動販売機だ。──アレ、なにか変だぞ。私は奇妙な違和感を抱きながら、小林の元にたどり着いた。

「──ヤダナア、小林先輩。先に行ってしまうなんてヒドイじゃないですか。おかげで見失うところでしたよ。」

私のその言葉を聞いて、小林はようやく自動販売機から目をそらして、ニタニタとした表情をこぼす。別段、私を置いてきぼりにしようと思ったわけでもないらしい。驚異のまなざしを私に向ける。

「アア、君か。ごめんごめん。なにぶん急いでいたからネ。ハハハハハ、──。」

私は、小林の全身を見渡す。──オカシイ。車の中で私から浚っていった赤子を抱いていないぞ。だが、どうしたことだ。赤子の声が、ぎゃあぎゃあと何処からか響いている。はて、何処かしらんに置いてきたのだろうか。──暗闇の何処かに?

「イヤア、和田の奴が肉が売切れてしまうんじゃないかってセカすからね。そんな事はナイと思いながらも、ナイじゃア済まされないから急いでいたわけだよ。しかし、売り切れていなくて良かったよ。──オオ、『タン』は残り一ケースだけだったか。危ない危ない。」

 そう言って小林は嬉しそうに赤く点滅している自動販売機のボタンを押す。がたんという音とともに、マジックペンで『タン』と書かれた半透明のケースそのものが落下し、取り出し口に移動した。単純な構造の自動販売機だ。しかし、肉の自動販売機なぞというものは、聞いたことがない。きちんと冷凍保存でもされているのだろうか? ──肉を大量に購入するために大金を入れたらしく、まだ様々なケースのランプが点滅している。奇妙にも金額が記されていない。それどころか、お金の投入口すらも見当たらない。どういう構造になっているのであろう。

「エエット、あと注文は何だったっけ。──オイ、君は聞いていないか。」

「──いえ。」不意に質問されたので、ちょっと考え込んでもイイ加減な返答しかできなかった。

「オイオイ。それじゃ困るナ。いくら新入社員の君でも、それくらいは気を回してもらわないと。まあ、いいや。この間とオンナジ注文なら文句は言われないだろう。エエット、『ホルモン』に『モモ』に『ロース』──。」

 ピピッピという機械音のあとに、ガタンという重重しい音が辺りに響く。

「チッ──。」小林が不快そうに消えてしまったボタンのランプをにらむ。「しけてやがるナ。今回はこれだけの肉しか買えなかった。竹内に叱られてしまうぜ。」

 私は、消え入ってしまったランプを見つめながら、注文を取ってこなかった失態を埋め合わせようと、何とか取り繕った。

「──あの、お金のことなら心配要りませんよ、先輩。私の財布には大金とはいかないまでも、それなりのモノが入っていますから。よろしければ、それを使って──。」

「ハ、ハ、ハ。何の冗談だい。おまえの財布に赤子が入っているのかい? 」

「エ、財布に赤子──。」

 私はわけもわからずにどぎまぎしてしまった。何かの冗談であろうが、何やら間が悪かったので笑うに笑えず、ソッポを向いたまま適当な語をついだ。「──しかし、不思議な自動販売機ですね。肉を売るジハンなんて、聞いたことが無いですよ。──」

 そう言い終わるか否かのうちに、小林がけらけらと乾いた笑いを吹かせた。

「ハハハ、──面白いことを言うね。ヒヒヒ、ジドウハンバイキだって? ヒヒヒ──そうだな。君もなかなか洒落が効いているね。素敵だな。ステキに面白いよ。フフフッフフ──。」

「え、──ドウいうことですか? 」

「ドウ──って、なんだい。その鶏に突つかれたような顔をして。フフフ、まったく面白い奴だね、君は。冴えない奴だなんて思って悪かったよ。ドウって知っているくせに、フフフッフ。児童と自動だけでなく、ドウまでも引っ掛けたっていうのかい。こりゃ、傑作だ。フフフッフフ──。」と言いながら、小林は横たわるケースをぽんぽんと叩いた。「──え、何でソンナ顔をしているんだい。君はこの肉が児童のものと知っていたんだろう? だから、ジドウハンバイキっていったんだろ。」

「ええ、──そんな、こと、知っている、はず、ナイ、じゃ、ないですか。だって、──」私は、とうとう返す言葉を失って口をテの字に歪めたまま、呆然と小林の唇を見つめた。

「ヘェ、そりゃ奇天烈だね。ヘェ、じゃあ君は、この肉が児童の肉って事を知らなかったのか。ヘヘッヘヘッヘヘ──エ、なんで児童の肉だって? アア、さっきの赤子の肉ってことを期待したって? フフフッフ、腹筋が痛いよ。フフッフフッフ、だって赤子の声は、まだ泣き響いているだろ。生きている赤子から、あんなに肉が取れるはずはナイし、鯖じゃないのだから、ソンナに早くは三枚おろしにできないだろう。死体を解体したことが無いから判らない──か。ハハハッハ、それもそうだナ。というか、このケースをミタマエ。あんな、赤子からこれほどの『タン』が取れるはずナイだろう。──エ、じゃあ、赤子は何処に行ったって? ──アア、そこのジドウハンバイキの中にいるだろうよ。きっと、成仏するだろうねェ。──エ、わからない? ──アア、どうして、赤子を要求するのか、か。何でも、ここの病院──その、裏の大きなビルね、──が、臓器の密売をやっていてね。新鮮な臓器が欲しいらしい。で、身寄りの無くなった赤子を引き取って、児童になるまで育てあげる──なんでわざわざ育て上げるかって? オイオイ、君もせっかちだナ。その頃までの成長をきちんと管理すれば、丁度良い臓器ができて都合が良いらしいが、なんでも本体の方は、引き取って直に植物状態にしてしまうらしい。──そこんところはよく分からんがナ。その後、摘出手術が可能になったのなら一気にいろいろなモノをごっそりと本体から頂戴するというわけだ。ジンゾウ、シンゾウ、カンゾウ、ガンキュウ、取れるものは全部、コツズイの汁まで吸い取る寸法だ。──本当に知らなかったのかい、ヤダナア。」

「じゃあ、あの赤子と引き換えに──、」

「ソウソウ、赤子と引き換えに、臓器提供に不要な児童の肉の部分を交換するわけだ。──病院の方はボロモウケ、提供側の方は、ハライッパイ。誰も損はしないわけだ。提供者がいるのかって? ヤダナア、肉が売り切れ必死だから、急いできたじゃないか。ソウソウ、実際に肉の購入者がココにいるじゃないか。君も食べてみればわかるよ。あの肉の美味さといったら、今にも涎が垂れてしまうのだから。フフフフッフフ──。」

 小林は、げらげらと笑いながら、自動販売機の取り出し口から残りのケースを抜き取った。ケースの中身は、児童の肉──ということなのか。小林は、なおも笑いをたたえながら、パンパンと『モモ』と書かれたケースを叩く。「竹内の奴が、『モモ』の肉が好きで好きでラマラナイときたものだ──。あいつが『モモ』をほおばる口元がイヤラシくてね。ヘヘッヘッヘヘ──。」

 そう言いながら、小林は『モモ』のケースを私に渡した。それは、ずしりと重く、ひんやりと冷たい。半透明の底の方で、何やらぐにゃぐにゃと蠢いているように見える──。まじまじと見入っていると、そのケースの上に、少しばかり小さめのケースをぽんと乗せられた。そっちにはマジックペンで『タン』と書かれている。中身には三四枚の血塗られたナマコのようなものが、──タン、タン? いや、きっと気のせいだ。これは、きっと何かの冗談だ──。

 私は、眩暈を感じながら、小林の動作を見やる。小林は残りの二ケースを積み上げて、両手で抱えあげた。

「それでいて、あの女、『私のモモの方が、もっと良い肉付きでしょ。』なんてよろこんでいるんだぜ。──まったく、イヤラシイ女だよナ。ハハハハッハッハ──。」

 そう言うと、ジドウハンバイキに踝を返して、なおも笑いながら歩き出した。私は「はあ。」と曖昧に返事をしながら、ぼうっとした意識の中をとぼとぼとついてゆく。きっと、すべてが幻影に違いない。

 そういえば、赤子の泣き声はいつのまにやら止んでいた。

 

平成十三年十一月十六日