ブログ

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一日目

 

 

 

 「霧島藍子」というキーワードで、まさかひっかかるとは思わなかったので、僕は一番初めに見つかったページにおよそ期待していなかった。

 

【霧島藍子の生活】

 

 というのが、そのページのタイトルだった。インターネットの普及によって、いたる所で乱立する「ブログ」──このページもその中の一つに過ぎなかったのだが、僕にとって「霧島藍子」というキーワードは、特別な名前なので、このページも特別であるのかもしれなかった。ブログにはプロフィールが載っていた。

 

【霧島藍子、十七歳、19XX年7月10日生まれ、××市在住、××塾に通っています】

 

 ビンゴだ。僕の口は自然に、にやけた。

 この短いプロフィールでも、十分だ。名前と生年月日と住所が合致すれば、高い確率で本人を特定できる。名前が筆名であったとしても、後者二つでかなり絞り込める。名前で引っかからなかったら、生年月日で検索をかけるつもりだったが、まさかこんなにあっさり見つかるものだとは、と拍子抜けしてしまった。

 しかも「塾」という情報まで付けてある。その塾は僕の通っている塾の名称と合致する。このブログが「霧島藍子」本人を指し示すのに十分すぎる情報であったことは確かだ。

 僕は興奮しながらパソコンの画面をのぞきこんだ。文字がきっちりと書いてあるので、所有するディスプレイでは小さすぎるほどだ。

 まずブログの全体をざっと見る。ページ全体がさわやかな緑色と白色に統一されて、すっきりとして見やすい。ページの上には、一番初めに目に飛び込んできた「霧島藍子の生活」というロゴがあり、そのタイトルの下は三分割されているという一般的な「ブログ」だ。三分割の右側一番上には先程確認したプロフィールが書かれていた。左側にはカレンダが付いており、日記を記述した日──今日(八月十日)までの印がついていた。毎日日記を書いていることがうかがえる。

 で、カレンダの下には「最近書き込まれたコメント」と「リンク」があった。

 ブログの形態は、ブログを作成した者が自由に変更できる。「コメントを可能」にしておけば、このアイコの日記に対しての感想を読んだ者が自由に書き込むことができる。交友が広がる反面、見知らぬ者がこころない内容を書き込むことが可能でもある。

 リンクという項目があるにも関わらず、リンク先がないようだった。

 リンクは、気に入ったほかの人のサイトや、ブログを登録しておくというものだ。リンク先がないということは、アイコは、あまり交流がないのかもしれない。あるいは、ブログを始めたばかりであろうか。

 というような全体の様式をざっと見た後、僕はいよいよ、三分割の中央にある本文を読み始めた。

 

【お風呂に入ったよ。

 朝シャンはとっても気持ちいい。

 頭をごしごし洗っちゃうの。

 良くないって言うよね。

 でもごしごしって洗うのが気持ちいいよ。

 あいこ 11時26分35秒】【コメント(26)】

 

 何だ、これだけか──と、拍子抜けしてしまった。

 たわいもない内容だ。

 僕は、なかば呆れつつ、コメント欄に視線を向けたが、そこで我が目を疑った。

 「コメントの数が二十六? 」──この単純な内容に対して二十六もの感想が書き込まれているのか?

 「コメント(26)」の箇所をクリックして、この記事への書き込みを確認した。

 

【お、一ゲット? やった、初めてだよ、嬉しいな。

 あいちゃん、おはよ。オレは今起きたよ。

 ごしごししているあいちゃんの姿が見てみたいな。

 今度、写真もアップしてよ。

 よしき 11時27分40秒】

 

 「一ゲット」というのは、一番乗りということだ。あえてこのことを明記しているということは、一番初めに内容を読んだことを誇示できるからかもしれない。とにかく記事の投稿から一分以内に書き込まれているのだから、よほどの頻度でこのブログをチェックしているはずだ。

 

【お、まさかの一ゲット。やったぜ。

 におか 11時27分58秒】

 

 二件目のコメントは、一ゲットできたと勘違いしている。

 二十分ほどでコメントが二十六件──「霧島藍子」がこれほどまでに「人気」があるのが、吃驚した反面、とても嬉しかった。なぜなら、僕はその本人を知っているのだから。

 他のコメントを流し読みつつも、僕は更なる興奮を覚えた。コメントを書き込んでいる人たちは、文の内容から推測すれば、少なくとも「アイコ本人」を知らないようだ。コメントには「アイコ自身」のものは含まれていなかった。僕は優越感を感じながら、二十六のコメントを読み終えた。

 多数の「読者」を惹きつけるのは何であろう──と首を傾げながら、次の記事に目を移した。

 

【朝食は一枚パンを焼いたよ。

 ××屋の××パン。

 こんがり焼けておいしかった。

 紅茶と合うよ。

 セレブな気分──えへ。

 あいこ 10時39分20秒】

 

 この記事にはコメントが三十五も付いていた。最後の記事からわずか四十分前に更新されたものだというのに。

 通常ブログは「日記」感覚で利用すれば、一日一回の更新となる。

 しかし、アイコは、四十分の間隔で次の記事を更新していた。確かにわずか「五行」の内容だから、それほど更新が大変ではないのかもしれない。

 僕は、更に記事をさかのぼって、目を通した。

 

【おはよ、今起きたよ。

 今日は天気がいいね。

 どこかに出かけたいな。

 あ、でも今日も塾があるから無理。

 考えると憂鬱になってきたな。

 あいこ 10時21分54秒】

 

 「塾がある」というのは、僕と同じ、夏期講習を指し示しているはずだ。アイコとクラスが違うのが悔やまれる。

 

【あいちゃん、おはよ。余裕の一ゲット。

 悩みをどんどん書き込んじゃいなよ。私たちが聞いてあげるよ。

 みちこ 10時22分11秒】

 

 僕も、もっと、アイコの悩みを聞きたい。このブログは、アイコの悩みを打ち明けることの出来る環境なのだ。アイコの今日の書き込みは、この記事までだった。

 現在の時刻は十二時五分。彼女が起きてからまだ一時間半程度。それで三つの記事が投稿されていた。なるほど、このブログの人気は、更新の頻度に所以しているのに違いない。

 僕はもっとも新しい記事のコメントの数が、先程の二十六から増えているのかを確かめるために「ページの更新」を押した。ブログの最終情報を取得するためには、このボタンを押す必要がある。

 すると、一番上の記事が変わっていた。どうやら、先程、新しい記事が投稿されたようだ。

 

【昼食作ってるよ。

 いつもの××のコーンフレーク。

 牛乳が途中で切れちゃった。

 ひたひたできない、残念。

 買いに行かないと。

 あいこ 12時6分15秒】【コメント(3)】

 

 すでにコメントが三つも付いてる。まだ二分あまりだ。

 なるほど──と僕は頷いた。記事の投稿頻度が多いからコメントが分散するのかもしれない。

 基本的にブログのコメントは、最新の記事に書き込まれやすい。最新のものは、常に一つで、他はすべて「過去の記事」だ。コメントを書き込むとすれば、一番目立つもの──つまり、は最新のものに対してだろう。そして、アイコ自身がコメントに返信していないので、短い記事に対して、同じ人物が幾度も書き込むことは少ないのかもしれない。少なくとも、前の記事の「コメント(26)」では、二十六人全員の名前が違っていた──つまり、それだけの人物がこのブログを閲覧したということになる。しかし、本来の閲覧者数は、二十六人程度ではなかろう。そもそも、僕自身、記事を読んではいるが、コメントを書いていない。むしろ書き込んでいるのは、ごく一部の人間だろう。すると、このブログを訪れているのは、驚異的な数ではなかろうか。

 全体的な人数を把握したかったが、閲覧者の数を指し示す「カウンタ」が見当たらなかった。しかし、まさか、アイコがこのような驚異的なブログを運営していたとは及びもつかなかった。真夜中は別の顔ならぬ、オンライン別の顔──というべきか。

 今日以前の記事を読みたかったが、何しろそろそろ食事をすませ、家を出ないと塾に間に合わない。僕は名残惜しくパソコンの電源を落として、朝食、兼、昼食を取りにいった。冷蔵庫の中に母が用意しておいたサラダと、おにぎりを見つけた。

 母は、仕事に出かけている。妹も出かけているようだから、パソコンでネットを閲覧出来るかっこうのチャンスだが、塾をサボるわけにもいかない。

 何しろ、塾には、アイコ本人が来るのだから。

 僕は、朝食を流し込むように胃に詰め込むと、家と自転車のカギを引っ掛けてアパートを出た。

 

 塾は、一区間遠い塾を敢えて選択した。誰も知らない環境下の方が、集中できると思ったからだ。母子家庭で生活している我が家としては、塾に行くというのだけでも贅沢なことだろう。それを身に染みているから、勉学に励む心意気だった。

 だが、塾には、アイコがいた。清楚で可憐なアイコは、忽ち僕の心の大部分を領有していった。学校も、住まいも知らなかったが、夢中になった僕は、あらゆる手を使って、彼女のことを知ろうとした。彼女の帰宅で、自転車でそっと尾行して、住所を特定した後、中学校時代の学区内を割り出し、卒業アルバムを調べ上げた。

 で、その情報を元にパソコンで検索して探し当てたのが、あのブログだった。

 自転車に揺られながらも、アイコのことが気になって仕方がなかった。こうしている間にも、あのブログが更新されているのかもしれないからだ。アイコの痕跡は、あのブログに脈々と綴られている。「霧島藍子の生活」とは、まさにその名のとおりのブログだ。アイコの生活の一部を垣間見ているような気分になる。

 ブログのコメントは、オンライン上の人物のものばかりだった。

 アイコとはあいさつ程度で、ほとんど会話らしい会話をしたことがなかったが、ブログと、アイコ本人を知っている僕は、きっと、それらの人たちよりは、優位な立場にいるはずだ。

 そもそも、アイコと話すきっかけがなかった。すこぶる美人だから近寄りがたかったが、ブログを見る限り、いたって普通の人物という気がしてきた。

 「よし、そうだ、ブログを話のきっかけにしよう」──そう思うと、僕のペダルは軽くなった。

 

 塾に到着して、駐輪場に自転車を停めた。玄関で、スリッパに履き替えて、教室に向かおうとした途端に、ばったりとアイコに会った。

 何という偶然だろうか──僕の心臓は、全く心構えをしていなかったので、高鳴り方に戸惑っていた。素通りしようとするアイコに、何かしなければと思い立ち、僕は震える唇を更に震わせて、漸く声を発した。

 「あの──」と、僕の声が一段と震えて、辛うじて意味をつないでいるのを確認しつつ、声を出した。

 「あの、霧島さんだよね? 」

 「ええ、そうですけど」と、戸惑いながらもアイコが頷いた。

 「もしかして、ブログをやってる? ちょっとそれっぽいのを見つけたんだけど、人違いだったらごめんね」

 「え──」と言いながら、アイコの顔が強張り、みるみる蒼白になっていった。

 訊き方がまずかったのか──いや、そもそも、内緒にしておきたかったのかもしれない──と、僕は、軽率な自分を恨みながらも、見開かれたアイコの瞳の奥をまじまじと覗くばかりだった。

 もう取り返しがつかないと思いながらも、取り繕おうと必死に言葉を発した。

 「いや、あんなに人気のブログだったんで、たまたま見つけたというか──プロフィールを見たら、君とまったく同じ名前と生年月日だったんで──うんと、偶然見つけたんだよ。それにしてもすごいよね、あんなに更新しているなんて──」

 「どうして──見ちゃったの? 」

 アイコは、空恐ろしいものを見るように後ずさり、去っていった。僕は、アイコの表情から、嫌悪しか感じ取れなかった。

 その途端に、講義を開始するブザーが高らかに鳴った。

 

 僕は、半ば呆然としながら、教室に入り、どかと座り、授業を受けた。アイコとは違う教室だ。アイコと同じ教室なら、直ぐにでも、彼女の表情を確認できて、どれだけ気が楽になったろう。アイコは、どう思ったのか──という疑問符が、何度も脳髄を往来した。勿論、こんなことを考えるのは愚問だ。本人がどう思った、感じたのを邪推するのは意味の無いことだ。しかるに、考えざるを得ない。

 どうして見ちゃったの──という言葉が、僕の心をこだまする。ネットで不特定多数が確認出来るブログという形態だから、私が見たとしても問題がないはずだ。だが、アイコは、明らかに嫌悪の表情だった。もしかしたら、ブログの存在を問いただした行為をブログに書かれるのかもしれない。そう考えただけで、背筋がぞっとした。僕が、こうしてぽつんと教室にいる間に、何十というコメントが、アイコのブログに書き連ねられている。そこに、僕を特定することが書かれていたとしたら──と思うと、胸が苦しくなった。

 僕は、冷汗まみれで、救済を求めるようにホワイトボードに書かれている内容を眺めたが、数式は、少しも、僕の心の呪縛を解き放つ魔方陣とはならなかった。

 

 僕は、半ば逃げるような形で、教室を後にした。頭を埋め尽くす不安で、首が折れてしまいそうになりつつも、廊下を駆け抜けた。

 もしかしたら、玄関で、アイコに会うのかもしれない──という、どきまぎした心境のまま、警戒して、廊下を突き進んだ。自転車置き場にもアイコの自転車が無いことを確認して、安堵とも失望ともつかぬ溜息をついた。

 直ぐに自転車に跨って、家に向かった。

 脳髄には、彼女の凍りついたような冷ややかな目線を感じながら。

 

 アパートの二階の自分の部屋に駆け上がり、チャイムを鳴らすと、重々しい扉が開かれた。転がり落ちるように靴を脱いで、中央のデッキにぽつんと置かれたパソコンに駆け寄って、電源をつけた。

 「まあ、帰ってきて早々」──という母の愚痴が、玄関から遠巻きに聞こえてくる。だが、今は、母が居る時に、暗黙の了解でパソコンを見ることが許された唯一の時間だ。

 

 ぶん──という低い音がした後、OSのログがたらたらと表示された。

 起動までが、じれったい。パソコンの起動はどうしてこんなに遅いのだろうか。電源をつけっぱなしにしておけば、どんなに時間的に効率的なのだろうか、と、このロゴを見るたびに思ってしまう。

 数十秒後にようやく起動すると、すぐさまネットにつなげた。「お気に入り」のサイトの中から「霧島藍子の生活」を選ぶ。今朝見たものと同じブログが開かれた。

 僕の目は、泳ぐように最新記事に注がれた。

 

【トモ君に癒してもらったよ。

 とてもやさしくてうっとり。

 藤井に話しかけられた嫌なことを忘れちゃった。

 やっぱりトモ君と一緒にいると嬉しいな。

 みんな心配かけてごめんね。

 あいこ 18時47分2秒】

 

 なんだこの日記は、と、僕は、我が目を疑った。

 アイコに彼氏らしい人物が居たことにも、驚いたが、僕の苗字が実名で出ているではないか。

 まさかこんなにあからさまに自分の名前が晒されるとは。何かの間違いではないかと思い「更新ボタン」を押して、もう一度、内容を確かめた。が、記事の内容が変わることはなく、その間に、皮肉にもコメントの数が二つ増えたのだった。

 コメントの数は三十八だった。わずか十分前に書かれた内容に、これだけのコメントがあるとは──。

 僕は恐る恐るコメントをクリックした。

 

【あいちゃん、かわいそう。優しい彼氏がそばにいてよかったね。

 藤井見かけたらぶっ殺しちゃる。見た目どんな奴か教えて、あいちゃん。

 ただし 18時47分59秒】

 

 コメントは「藤井」という人物、つまり僕に対する誹謗中傷ばかりだった。

 何てことだ──自分の血の気がひしひしと退いてゆくのを感じた。

 ブログをやっていることをたずねただけだというのに、こんな報いを受けるとは──僕は不甲斐ない気持ちで記事を遡った。

 「彼氏に会ってきた」内容や「塾を出る」内容など、数十分単位でことあるごとに更新されている。遡って、ついに僕とアイコの会話の記事を見つけた。

 わずか三時間前のことだが、最新記事から、この記事の間に、十一もの記事が存在していた。

 僕とアイコとの会話の記事は、僕を愕然とさせた。

 

【藤井豊に話しかけられた。

 私のブログを見たんだって。

 なに、あの勝ち誇ったような態度。

 藤井もブログ始めたんだって。

 信じられない。

 あいこ 13時27分31秒】

 

 僕がブログを始めた──何を言っているのだろう。

 あのとき、僕は、アイコのブログに対して尋ねたのは確かだが、ブログを始めたなんて言ったこともないし、実際、僕は、ブログなんてやっていない。

 「あのとき? 」記事の時間は、ちょうど彼女と話し終えた時くらいだ。

 塾にいたのだから、アイコは、パソコンで記事を更新したとは考えにくい。家に着いてからパソコンで記事を書き、過去の時間をつけて投稿する方法もあるが、コメントの数からして、その可能性も低い。とすると、携帯から記事を投稿しているのだろう。むしろ、いつも「五行」の内容だから、携帯で投稿していると見るべきだ。

 アイコが、僕と別れてからすぐに「ブログ」に「僕の実名」を晒したかと思うとぞっとした。

 その行為に、躊躇すら感じない。何という残忍な行為を平然とやってのけるのだろうか──。

 もしかしたら、アイコは、自分自身でこのブログを確認していないのかもしれない。だからこそ、コメントへの返信をしないし、反響の大きさに頓着せず、ひたすら記事を投稿し続けることができるのだ──など、と思いつつ、マウスを動かしながら、アイコの「今日の記事」を片っ端から読んでゆく。

 驚くべきことに、授業中にも、七つの記事が投稿されていた。

 講師や生徒の実名を晒し、非難している。授業風景や、講義内容への不満まで包み隠さず書いてある。

 何というブログだ。

 僕は、呆れを通り越して感心すら覚えた。

 包み隠さずに暴露しているからこそ、このブログが関心を引いているということかもしれない。トップページにある記事を読み終えて、画面に目線を移すと、どこかしら、ブログに異変を感じた。

 今日の朝に確認したときから、何かが違っている。果て、何が違うのだろうと、見渡すと、今朝までには、存在しなかったリンク先に、一件のリンクが追加がされていた。

 

【藤井豊の生活】

 

 「藤井豊」──僕の実名だ。

 どういうことだ?

 僕は、頭が疑問符に包まれながらも、おそるおそるマウスでそのリンク先に標準を合わせて、クリックした。

 別のものが開かれる、もしくは、リンク先が見つからないとかいう状況を期待しつつ──。

 しかし、それらの淡い期待は、悉く裏切られた。

 「藤井豊の生活」という大きな見出しのあるサイトが開かれた。

 

【藤井豊、十六歳、19XX年10月28日生まれ、××市在住、××塾に通っています】

 

 プロフィールを見る限り、僕を指し示しているのは疑いなかった。

 僕と同姓同名で、同じ誕生日で、同じ市、同じ塾に通い、おまけに、アイコと接点を持った人物を僕以外で探し出すことは絶望的だろう。

 何といういたずらだ。

 アイコが僕に対する「あてつけ」で作ったブログに違いない。

 うちのめされた気分で、記事に目を通した。

 

【ブログを始めた。

 何を書けばいいかわからない。

 でも始めることが重要だね。

 毎日の生活のことを書こうと思う。

 そんなに素晴らしい人生じゃないけど。

 ゆたか 13時27分31秒】【コメント(138)】

 

 この時間は僕が塾に居るときだ。

 いや、まてよ、と思い「霧島藍子の生活」に戻り、「僕がブログを始めた」という記事を再度確認する。

 投稿時間が「13時27分31秒」──ぴたりと同じだ。

 偶然だろうか。

 アイコ自身の記事と、僕の記事を同時に更新したのだろうか。ケータイの機能で同時に複数人に同じ内容のメールを送るというのは知っているが、違う内容のブログの記事を同時に更新するという機能を聞いたことが無い。そもそも、必要性が無い。

 自分の記事を書いた後、僕の記事を書けば、差分で時間がずれるはずだ。もしかしたら、アイコは、時間を指定して、記事を送信しているのかもしれない。

 「13時27分31秒」というのは、アイコの僕に対するメッセージなのだろうか。

 コメントが百三十八も書き込まれていた。たいした記事の内容でもないから、アイコのサイトから流れてきたのだろう。僕はおそるおそる「コメント(138)」をクリックした。

 

【一ゲット──ってか氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね。

 たろう 13時28分5秒】

 

【超キモい。

 五行でまとめるあいちゃんの書き方を真似てるし、おかしいとちゃうの?

 みよ 13時28分21秒】

 

【つまんねえお前の生活なんか見たくねえ。ってか、毎日荒らしてやんよ。

 ひさし 18時28分47秒】

 

 覚悟していたが、野次や、中傷ばかりだ。

 わずか数時間前に投稿されて以来、僕はオンライン上の不特定多数──少なくとも、百三十八人から侮辱を受けているのだ。しかも、これらのコメントを消すことはおろか、このブログの更新をやめることもできない。

 なんという、いたずらだ──。

 明日、アイコが出勤したら、まっさきに謝ろうと僕は決意しながら、コメントから目をそらして、半ば、救いを求めるように、アイコのブログに戻った。

 

【ただいま、家に帰ったよ。

 まだまだ蒸し暑い。

 速攻で、部屋のクーラーを付けたよ。

 涼しくなってきた。

 うれしいな。

 あいこ 18時25分20秒】

 

 思わず時計を見た。二分前だ。

 「早く来ないと、飯を抜きにするよ」──という母親の罵声が轟いた。

 アイコの過去の記事を確認したかったが、今日は、もう、パソコンに触れる機会を得ることが出来ないだろう。

 僕は、名残惜しそうにパソコンの電源を切った。

 

 

 

二日目

 

 

 

 朝起きて、すかさずパソコンの電源を付けた。

 すぐにアイコのブログを確認する。本日すでに二つの記事が投稿されていた。

 

【おはよ、今起きたよ。

 今日もすがすがしい朝。

 天気が良くて気持ちいいね。

 昨日は嫌なことがあったけど、

 今日はこの天気みたいに晴れやかであって欲しいな。

 あいこ 10時25分52秒】

 

【クーラーの設定温度を間違えていた。

 25度にしてあったよ。

 いつもは寝るときは27度にしてあるのに。  

 どおりで寝苦しくなかった。

 エコよりもエゴでいこうかな。

 あいこ 10時31分8秒】

 

 昨日の嫌なこと──という言葉が僕の心に突き刺さった。アイコはかなり気を悪くしているのだろう。

 しかも、実名を晒された僕の気持ちのことなど、少しも頓着していない。

 僕はすぐさま、アイコのリンクにある「藤井豊の生活」をクリックした。

 ページが開けず、エラーの出ることを望んでいた。すなわち、一時的な「いわじる」であったことを願った。

 が、その願いの虚しく「藤井豊の生活」というタイトルが僕の目に飛び込んできた。

 僕のブログであるというのに、僕以外のものが書いているブログ──それを僕が見ているのだから、何という皮肉だろう。

 

 ふと見ると、最新の記事が投稿されていた。

 

【今、起きた。

 今日もアイコのことばかり気になる。

 気になって、さっそくアイコのブログを確認する。

 ブログには「嫌なこと」という記事があった。

 はたして「僕のこと」だろうかと気になる。

 ゆたか 10時41分7秒】

 

 なんということだ──僕は思わず時計を見た。

 更新されたのは、四分前だ。

 僕がアイコのブログを確認したという内容が「たかが五行」だが、明確に書かれてあった。

 何だろう、これは──と、僕は、僕の皮膚から、ぞわぞわと沸き立つ気色悪さに身震いしつつ、更新ボタンを押して、もう一度、ブログの最新情報を取得する。

 が、そうしてみても、ブログに書かれてある内容が変わるはずもなかった。

 どういうことだ──と、僕の気は焦った。まさかアイコは僕の部屋を覗いているのかもしれないと思い、窓を見たが、カーテンは閉ざされたままだ。

 どういうことだ──という疑問で頭が埋め尽くされそうになりながらも、僕は落ち着こうと幾度も深呼吸をした。

 きっと、「僕が朝にブログを確認するのであろう」という推測で書いているのに違いない。そうしてそれがまんまと的中したから、僕はこんなに驚いているのだ。

 そうだ、そうに違いない。──というようなことを何十回も信じ込もうと頷きながらも、僕はこの記事のコメントがすでに十一も書き込まれていることに愕然とした。

 

【一ゲット。ぜんぜん嬉しくねえ。うは、きもちわる。

 あいこちゃんが好きだからブログも真似したってか? きもきもきもきも。

 みちる 10時42分21秒】

 

 僕は、その文章半ばで思わずページを閉じてしまった。これ以上見続けることに吐き気を覚えながら、パソコンから逃げるように遠のくと、ベッドの枕に頭を埋めて、がたがたと震える体を押さえつけるのに意識をしようとした。そうすることで、この「いじわる」から解放されることを願いながら──。

 

 妹に、たたき起こされて、目を覚ました。

 「お兄ちゃん、塾サボったの? 」

 時計を見ると、十三時を回っていた。

 現実に引き戻されたような感覚で跳ね起きると、慌てて支度をした。

 

 塾に向かう自転車の上で、まったく呆然としていた。

 こういうときに自転車は、とても律儀に「無意識」の中へと入ることが可能な空間となる。

 アイコの顔がちらつく。「アイコ」があまりにも僕の意識を占領しているので、僕が考えを巡らすのに費やすことのできる領域が、ごくわずかであるように思われた。

 アイコに「僕のブログ」のことを問いただせねば、この不可思議な気持ちは解消されない。しかし、問いただすという行為が「アイコのブログ」に書かれてしまうというスパイラル状態に陥ることになりかねないか、という危惧がすぐさま襲い掛かってきた。

 もうこれ以上ブログが書かれないようにするためには、アイコに接触してはならない。しかし、僕のブログの更新をやめさせるためには、アイコに接触しなければならないという、相反する天秤がつりあうたび、僕はもうわけがわからないような気分になっていた。

 とにかく言えることは、アイコが非常に危険な人物だったということだ。あの巨大なブログを運営しているのを知った時点で気づくべきだった。

 僕は、僕に纏わり付いた嫌な気分を拭い去るように自転車を加速させた。

 

 塾に着いたが、授業只中で、教室に入ることが億劫だった。

 時間を見ると、授業終了まで残り十分程度だから、次の授業から参加しよう──と思い立つ。

 次の授業? ──そうか、次の授業の直前で、アイコを呼び出して問いただせば良いのか。あんないたずらをされたのだから、僕は、アイコに問いただす権利があるべきだ。

 という気持ちに傾くと、手首にまかれた時計に、病的な力強さを感じた。

 

 授業終了のブザーがなり響いたと同時に、僕は塾に入った。授業の続いていたアイコの教室の横を素通りし、アイコの位置を確認する。

 アイコの横には、トモアキが座っていた。

 ひょろ長い顔立ちで、ぎょろりと、目をむき出しているような風貌だ。

 とにかく、この男は、アイコと良く一緒にいる。また、他の女性とも、仲良く喋っているのを目撃したことがある。どうして、こういう人間がちやほやされるのかが、判然としない。口が達者なのかもしれない。

 教室を通り過ぎたところで授業の終わるのを待った。

 講師の合図の後、教室内がざわめいた。授業が終わったようだ。

 数人が教室から出てきた。

 僕は、ばくばくと高鳴る心臓を抑えながら、機会を伺った。

 が、数分、待ってもアイコが教室から出てこない。

 仕方が無いので、教室の中の様子を覗き見ると、アイコがまだ、席についていて、隣のトモアキと話をしていた。

 話の内容が判らないが、お互いの口調が強い。喧嘩でもしているのだろうか。

 割り込むのは、気が引けたが、このままでは休憩時間が終わってしまう。僕は、目をパチパチとしばだたせて意を決すると、教室に入って、アイコのそばへと立ち、遠慮がちに言い放った。

 「アイコさん、ちょっと、話があるのだけど、いい? 」

 「何? 誰、こいつ」

 トモアキは、不快な態度で、僕を睨んだ。

 「ちょっと、待ってて──」と、トモアキの方を見ながら、アイコは、席を立った。

 

 「あれはどういうこと? 」と、僕は、教室を出たところで、振り返りながら、アイコに問いただした。

 「あれって──なんのこと? 」

 アイコは僕を睨み返す。

 「ふざけるな──」と、憤りでつい声を張り上げてしまった。アイコが、訳がわからないといった表情で、なおも僕を睨み続けている。

 「昨日『ブログ』をやっていることを問いただしただけで、あの扱いは、ひどいだろ」

 「あの扱いって言われても──私は何も『知らない』の」

 「『知らない』だって? 『霧島藍子の生活』っていうブログがあるじゃないか」

 アイコは、遠慮がちに頷いた。

 「じゃあ、シラを切るのも好い加減にしてくれ。あんなに頻繁に『ブログ』を更新して、僕の名前まで晒しているのに『何を』知らないっていうんだ? 」

 「信じて、私は──『ブログ』を書いてないの」

 「書いてない? 」

 僕は、唖然としながらアイコの顔を眺めた。

 アイコが、かぶりを振りながら、僕を見つめる。

 「書いていない? 」と、思考が停止ながらも、僕は、もう一度その言葉を呟いた。

 「そんなバカな。君以外があんな詳細な『ブログ』を書けるはずないじゃないか」

 「私──あの『ブログ』が怖いの」

 「『ブログ』の存在を知っているのか? 」

 「知っているけど、今はもう見てないわ。一時期、見ていたけど、内容がどんどんエスカレートしていくので怖くて──」

 「じゃあ、一体全体、誰が更新しているっていうんだ。『藤井豊の生活』っていうふざけた『ブログ』も、『君じゃない誰か』が勝手に始めたってことか? 」

 「おい、お前は何を言ってるんだ」

 突然、声がしたので、振り返ると、トモアキがいた。

 「アイコに何を言っているんだ。──アイコ、こいつ、誰なんだ? 」

 「大丈夫、関係ないの」

 「まさか、こいつとデキてたんじゃないんだろうな」

 アイコは、懇願の目で、僕を見た。

 「お願い、えっと、藤井くんだったっけ? 向こうに行って、お願い」

 

 アイコと別れた後、参加した授業に、当然の如く、身の入らなかった。僕はひたすら続く長い責め苦に苛まれるようだった。

 アイコの言っていることの真偽さえもままならなかった。アイコの嘘をついているのかもしれない。いや、むしろ嘘のほうが現実味があるまいか?

 アイコは何かを言いかけていた。

 とにかく、アイコと話の続きがしたい。

 ぼんやりとしながら、見つめるホワイトボードの数式は、苛立つ僕に呪術のような時間を束縛した。

 

 授業が終わると、すぐさま立ち上がり、アイコの教室の前を通った。が、まだ授業をやっているにも関わらずアイコがいなかった。

 一体全体どういうことだろうと、思いしいしい、塾の外に出た。

 自転車置き場で、アイコの自転車を探したが、無かった。

 授業を受けずに、早退したのだろうか──僕は、すぐさま、自分の自転車にまたがり、家へと急いだ。

 

 家に帰り、母親の「食事は? 」という言葉を無視して、パソコンの電源を付ける。

 アイコのブログを開き、内容を確認する。

 

【トモ君が、判ってくれない。

 私が「遊んでいる女」だって──。

 トモ君一筋なのにどうしてそう言うんだろ。

 何て話せば判ってくれるのかな。

 トモ君のことが好きなのに。

 あいこ 16時7分5秒】

 

【今、公園にいるの。

 トモ君に呼び出されたの。

 トモ君は、私にできた子を堕ろせって。

 とてもこわい表情──どうしたらいいの。

 トモ君が別人のようだよ。

 あいこ 17時21分5秒】

 

 トモ君とは、トモアキのことだろう。

 出来た子を堕ろせ──アイコは妊娠していたのか?

 僕が信じていたアイコ像が、音を発ててがらがらと崩れていった。しかしながら、このブログに書かれている内容が、真実であるという確証も無い──はずだ。

 僕はざっと前の記事を読んで、経過を調べる。

 記事を読んで、愕然とした。

 僕が、廊下でアイコが教室から出てくるのを待っていたときに、アイコは、トモアキに妊娠の話をしていたのだ。

 そこで、僕が、話に割りこんでいった。

 トモアキは、僕のことを不審に思っていたのも無理はない。「妊娠」を告げられた直後に、見知らぬ人物──僕が現れたのだから。

 トモアキは、僕を追い払い、アイコに「話をしよう」と、持ちかける。

 残りの授業を放棄して、塾を出て、公園へと向かった。

 で、ブログには、公園のベンチで、詳細を話している風景までが、記録されている。

 

 はて、公園とは、どこのことだろう。

 僕は頭をフル回転させた。塾から一番近い公園は、ねこの額ほどだ。あんな場所で深刻な話をするだろうか。

 深刻な話? ──僕はいてもたってもいられず、すぐさま家を飛び出して、自転車を走らせた。

 僕が、アイコの元に行ったところで、何も解決しないと判りながらも──。

 

 塾からもっとも近い公園に着いたが、人影はなかった。

 見晴らしの良いところでは、やはり話をしないのかもしれない。いや、もう話を終えたかもしれない。が、とにかく、近くのもう一つの公園へと向かった。

 

 その公園の入口には、アイコの自転車が置いてあった。ビンゴだ──と思いながら、僕はアイコの自転車を遠巻きで確認するような位置に自分の自転車を停めた。

 自転車は、一つだ。

 トモアキも自転車に乗っていたはずだが、それらしいのはアイコの自転車のそばになかった。

 公園の電灯を避けるように、公園の中に入ってゆく。

この公園も、そんなに大きくなく、いくつかのアスレチックとベンチのあるばかりだった。

 木に身を隠しながら、辺りの様子を見渡した。

 すると、ベンチにアイコがうずくまっていた。

 一人で泣いているのだろうか。──遠巻きで、よくわからないが、一人だ。

 とにかく言えることは、トモアキが、近くにいないということだ。

 周りはおそろしいほど静かで、まるで僕の心臓の高鳴りだけが、時を動かしているようだった。

 僕は二、三の深呼吸をして、アイコの居るベンチへと近づいた。

 近づいてもアイコは僕に気がつかない。

 「アイコさん──」と呟くが、返事がない。

 「アイコさん」と呼びつつ、もうベンチのすぐ近くまで来たが、不思議なほどアイコは身じろぎ一つしなかった。

 なおも蹲るアイコのそばで、僕はもう一度「アイコさん」と呟いたが、様子はまるで同じだった。

 僕は躍起になりながら、肩をぽんと叩くと、アイコの四肢が、ベンチから転げ落ちて──顔があらわになった。

 だらんと見開かれたアイコの目が仰向いた。が、僕の目と焦点を合わさなかった。

 ああ、死んでいる──と、僕は薄々感づいていながらも、肯定できなかった思いをついに口にしてしまった。

 

 僕は「あああああああああ」と叫びつつ、その場を離れた。

 とにかく、逃げた。

 慌てふためいている自分に馬鹿らしく思えるほど、慌てふためいて、自分の自転車へと一目散に逃げた。

 そのまま自転車に乗って、何度もペダルを踏み外した後、家へと向かった。

 

 自転車を転がしながら、僕は思案した。

 犯人はトモアキに違いない。

 公園に一緒に行ったのは、ブログに書いてあった。そして、公園に実際にアイコが居たのだから、確かだ。

 しかし、アイコが、トモアキの目を盗んで、携帯であの記事を書くことが、果たして出来たのだろうか。

 今、思えば、ブログは「何処か」おかしかった。

 そもそも、アイコは、僕に興味がなかったのだから、僕の名前すら知らなかったのかもしれない。だが、僕の「ブログ」は、僕の生年月日まで、事細かに書かれていた。

 あのブログは、一体全体何なんだ?

 そして、今、ブログには、何が書かれているのだろう?

 僕は、気が急くたびに、いっそうペダルの勢いを加速させた。

 

 自転車をアパートの駐輪場に、半ば捨て去るように置いて、アパートの階段を駆け上がる。

 僕は、何を焦っているのだろう、という、わけのわからない煩悶にさいなまれる。

 アイコはもう死んでいるというのに。

 そもそも、死んでいるという事実を知っているのは、僕と、犯人のトモアキと、アイコと僕のブログを書いている人物だ。

 アイコと僕のブログ?

 アイコと僕を同時に監視することなど、出来るはずも無い。

 

 家に着いた。

 扉を開こうとするが、閉まっていたので、焦りながら、がんがんと叩く。

 十何回も叩くと、ようやく扉の開いた。

 「出かけたと思ったら、やかましく帰ってきて、好い加減にしてよ」という憮然とした母親の脇を掻き分けて、パソコンの前へとすがりつく。

 「帰ってきたそうそう──」と、言いかけた、母を制する。

 「あれ──パソコンを付けっぱなしにしておかなかったっけ」

 「電気がもったいないから、ユカに切ってもらったよ。私は切り方を知らないからね。そんなことより、ご飯まだでしょ? そんなものやってないで、さっさと食べてちょうだい」

 という、いつもなら煩い声が、なつかしいほど穏やかに感じた。

 「あとで食べるから、ちょっと待ってて」

 塾で大事なことを言われて、調べ物をしているから──と、当たり障りなくウソぶきながら、そばから母を追い払い、パソコンの電源を付ける。

 パソコンのOSは相変わらず、なかなか起動せず、じれったい。

 僕は僕の荒い息を落ち着かせようと、幾度も深呼吸をする。

 漸く電源がついたので「霧島藍子の生活」をクリックした。

 画面が開かれた。

 最期の記事に目を移した。

 

【今まで読んでくれてありがとう。

 私は死んじゃったよ。

 もう更新できなくて残念。

 でも、リンクできたからよかった。

 これからも「ブログ」をよろしくね。

 あいこ 18時23分5秒】

 

 それを見て、僕は初めて涙が出てきた。

 アイコが死んだ──この目で事実を見てきたのに、この文章ではじめて「死」を認識した。

 この記事は、アイコが事切れる瞬間に更新したのだろうか。

 いや、死の間際にこんな内容の記事を更新できるはずがない。わざわざリンク先の僕のブログを気にかけるとは──しかし、そもそも、アイコは、僕のブログの存在を知らなかったはずだ。

 僕は悲しさと同時に、恐ろしい不安にとりつかれた。このブログは、やはり「おかしい」。

 このブログを更新しているものは、アイコの死を淡々と見届けていたのか。

 なんという冷徹な存在だ。

 と思い、僕はすぐさま、リンク先の「藤井豊の生活」をクリックして、最新の記事を読む。

 

【僕は、すぐさまパソコンの前に行く。

 そんな僕を母親が非難する。

 でも、僕はアイコが気になってしかたがないんだ。

 死んだアイコの「ブログ」がどうなったかが。

 そして「ブログ」を確認した。

 ゆたか 18時49分25秒】

 

 僕の体がわなわなと震えだした。何という気分の悪い内容だ。僕は、悉く「観察」されている。

 僕は震える手と、涙を蓄えた眼で、過去の記事を遡って読み漁った。

 先程のアイコの死体を確認する内容が克明に書かれていた。

 僕は、何度も頭をかきむしったが、確かに痛かった。これは、現実だ。

 どの記事にも大量のコメントがついていた。

 「冗談だろ──」と僕は呟いた。

 「こんなことがありえるはずがないんだ」と、思いながら、更新を押して、最新情報を取得する。

 すると、新しい記事が投稿されていた。

 

【僕はパソコンでアイコの死を知った。

 涙が出てきた。

 自分のブログを確認する。

 新しく投稿された記事を見て出てきた言葉は「冗談だろ」。

 でも、冗談じゃなかったんだ。

 ゆたか 18時51分2秒】

 

 「そんなバカな」と僕はくるくると周りを見回す。

 誰もいるはずもない。だが、何かが確実に僕に視線を向けているのだ。

 「誰だ──」と僕は小声で呟いた。

誰もいないのはわかっているのに、僕は敵意をむき出しにして叫んだ。

 「誰だ」

 荒い息を押し殺すように、更新をクリックした。

 

【僕は狂ったように叫んだ。

 「誰だ」と叫んだ。

 「誰だ」と叫んだ。

 叫んでみたものの、周りには誰もいない。

 ただ自分がいるばかりだ。

 ゆたか 18時51分54秒】

 

 「あああああああ──」

 僕は狂ったように更新を何回もクリックした。

 

【僕は狂ったように更新をクリックした。

 「ブログ」にはこう書かれていた。

 「僕は狂ったように更新をクリックした。」

 「ブログ」にはこう書かれていた。

 「僕は狂ったように更新をクリックした。」

 ゆたか 18時52分7秒】

 

 僕は叫びながら、窓を開いた。

 窓の外に、誰もいるはずがない──ただ、緩やかな夕闇が広がっていた。

 「あああああああ──」

 僕は、叫びながら、更新地獄がどうにかならないかを手探りした。

 と、思った瞬間、僕は、ベランダに足をかけて飛び降りていた。

 僕の脳裏にはアイコの笑顔が焼きついていた。

 やっと楽になった──と僕と虚像のアイコは、同時に微笑んだ。

 

 

 

n日目

 

 

 

 目を覚ますと、白い天井を眺めていた。

 あまりに唐突なので、僕はここが病院であることを理解するためには、覗き込んできた妹の顔と声を理解しなければならなかった。

 「お兄ちゃん──目が覚めた? 」

 「ここは? 」

 「病院だよ」

 「ああ──」僕は生返事をした。

 記憶の帯を辿ると、ついさっきまでは錯乱して、ベランダによじ登ったところまでしかなかった。

 「ああ、飛び降りたのか」

 「大丈夫──どうしちゃったの? 」

 僕の心は、不思議と穏やかだった。

 脳の中ではアドレナリンで満たされているからかもしれない。

 飛び降りたときの心境を冷静に判断しえてしまうほどだ。

 「そうか──『ブログ』を見なければ良かったんだ」

 と、僕は納得して、頷いた。

 「アイコもそうしていたように、いくら他人に晒されようとも、自分がそれを見なければよかったんだ」と思うと、僕の心は晴れやかになった。

 気づかせてくれたアイコに、心から感謝したかった──今は亡き、アイコに。

 「ブログ? 」

 と妹が唖然として呟いた。どうやら僕の小言が聞こえてしまったようだ。

 「あ、お兄ちゃん、あの『ブログ』はどういうことなの? 」

 「え──」

 と言いつつ、僕が始めてアイコに話しかけた時のアイコの顔がフラッシュバックした。

 「リンク」──この三文字が僕の脳を埋め尽くした。

 僕は、漸く理解した。「ブログ」にとりつかれた人物に「ブログ」のことを問いただすと、リンクしてしまうのか──あの時のアイコは、これを悟っていたのか。

 「どうして、見てしまったんだ? 」

 僕の気の遠くなりそうな意識の中で、妹の無邪気な声だけが響き渡った。

 「どうしてって──お母さんにパソコンを切るのを頼まれた時、画面にお兄ちゃんの『ブログ』が開いていたんだもの」

 

 

 

【病院のベッドは、居心地が悪い。

 妹の藤井由佳に話しかけられた。

 僕のブログを見たらしい。

 由佳もブログ始めたと言っていた。

 病院では、確かめられないな。

 ゆたか 11時27分31秒】

 

【余裕の、一ゲット──まだ、生きてたの? 早く死んじゃいなよ、楽になるから。

 あいこ 11時27分48秒】