ケーキ

ケーキ

 「お、おいしそうなケーキじゃないか。」

 家について早々、タカアキの目に飛び込んできたのは、居間のテーブルに置かれた一つのケーキの載った皿だった。「イチゴのショートケーキ」という単純な名が与えられるべきシンプルなつくりのケーキだ。三角形の形状全体に、丹念にクリームが施され、ちょこんとイチゴが乗っていた。

 上着を脱いで、手をかけた一つ横の席の背もたれに掛けた。ネクタイ、ズボンもそれに引き続いて背もたれを覆ってゆく。その間も、タカアキの目線がテーブル上のケーキに注がれていた。上司につき合わされ、疲弊した身体に対して絶好のご褒美が目の前にあるのだ。

 「いつもの格好」になるまで脱いだあと、タカアキは手をかけていた席を引っ張り、どかりと腰を下ろした。

 丁度そのとき、妻のトミが、頼んでおいたコップに入った水を持ってきてくれた。

 「お風呂、入りますか? 」

 トミが、タカアキの目の前にコップを置いて、そう尋ねてきた。ケーキの話にあえて触れてこないのは、目の前にあるケーキを食べさせないためであろうか、とタカアキは勘繰る。

 「おいおい、このケーキ大丈夫か? 」と、タカアキはトミに注視させる。

 「何がです? 」

 「一時期、防腐剤のキツいケーキというのがあってな。このように常温においてあっても、二週間、一向に腐ることなく、同じ形状、同じ風味を保っていたらしい。つまり、あまりにも防腐がきつすぎて、分解者を寄せ付けないってわけだ。当然、ハエすらもよりつかない。そんなものを人間が食べたとして、果たして身体の中でどういう影響があるかと考えただけで、ぞっとしてしまわないか? 」

 「ふふふ、大丈夫ですよ。このケーキは、先ほど私が作ったんですもの。もし良かったら食べます? 」

 タカアキは、にんまりとした。トミをぞっとさせておいて自分のものにしようとした意図どおりにはならなかったが、結果的に自分のものになったからだ。

 「おお、手作りケーキか、うまそうだな。」

 「コンセプトはドジョウ鍋ですよ。」

 「ドジョウ鍋? 」

 「鍋に、だし汁と、豆腐と、たくさんの生きたドジョウを入れておきます。その鍋を火に掛けてゆくと、煮えてくるだし汁にだんだんと熱くなって堪らなくなったドジョウが、まだ、比較的煮立っていない豆腐の中へ入っていきます。で、すっかり煮え立つと、だしの効いたドジョウ入りの豆腐が出来上がるわけです。」

 「ハハハ、面白いな。で、このケーキが豆腐に見立ててあるってわけか? まあ、しかし、この小さなケーキにドジョウなんて入らないよな。」

 タカアキは、見た目になんの変哲もないケーキを一瞥した。トミが自分に対抗して「食べさせないための作り話」をしたのだろうと思い、にんまりと笑った。

 「お前が作ったケーキだなんて初めてだからな。ぜひ食べたいな。フォークを持ってきてくれないか? 」

 「ふふふふふ、いいですよ。」

 タカアキは、コップの水をごくりと飲んで、喉元をうるおした後、ケーキの皿を自分に近づけた。丹念な生クリームがケーキ全体を包み込み、近くで見ても実に綺麗だ。トミがこんなに精巧なケーキを作ることが出来たのに驚いた。

 「どうぞ。」

 トミが持って来てくれたフォークを受け取り、タカアキの口から自然に「ありがとう」とこぼれた。

 「綺麗に作ってあって、フォークを入れるのがもったいないな。」と言いながら、タカアキは、ケーキの隅をフォークで切り崩す。

 で、フォークを抜いて、切り取った上部に突き刺して口に運ぼうとした。

 が、そのとき、タカアキは違和感をおぼえて手を止める。

 フォークで切ったケーキの断面、スポンジの間に奇妙なものが挟まっている。

 チョコレート? ──いや、よくみると蠢いているのだ。

 あわてて、口に運ぼうとしたフォークに刺さっているケーキの切れ端を皿に置き、フォークを抜いて、スポンジをめくる。

 すると、そこには複数のミミズがスポンジの上で踊っていた。フォークで断ち切られた箇所が、痙攣したように小刻みに動いている。

 「ふふふ、白と赤のコントラストが絶妙でしょ。」と、トミはにたにたと笑った。

 「食べるといったからには、最後まで食べてくださいね。ふふふふふふふ。」

 

平成十八年九月三日