パスタ

パスタ

 「とても美味しいパスタ屋があってナア」

 「はあ──」と言いながら、私は、助手席で、小林の思いつきに溜息交じりの頷きを返した。漸く、今から行く「ランチ」の話になった。

 「その店に、もう着く頃なんだ、フフフ」

 「はあ──」

 見慣れない住宅街をぐんぐんと進み、曲がりくねった先に、突如として現れたのが、一軒で三つの店舗のある建物だった。

 建物の直ぐ手前に、三台分の駐車スペースがあるが、その二台分を占有するかのようなと停め方をして、車のエンジンを切ると、小林は、勢い良く車から飛び降りた。

 どうやら、目的のお店に着いたようだった。

 駐車された車の真正面──建物の正面から見て右側の店舗は、「バーバリートリイ」という古めかしい看板が掲げられていた。

 威圧的な扉の前に、赤と青と白のラインの入った床屋に良くある看板が、古めかしい上に忙しく回転していたので、一層褪色を帯びて感じた。この看板が無ければ、営業しているかどうかも疑わしかった。

 その店の前に車を付けたので、何だか気の毒になりながらも、視線をうつした。

 中央の店舗は、外見からは、どのような業務なのか、うかがい知ることの出来なかった。というのも、まるで、左右の店舗さえも飲み込もうとするほどの蔦が、一面を覆いつくし、扉だけが晒されている状態だった。きっと、扉が侵食されていなかったのは、幾度も開閉されているためだろう。

 もしかしたら、蔦の中に、この店舗の業種を特定できる看板が掲げられているかもしれない。

 左の店舗は、それらの二つに比べて、「比較的」こぎれいだった。

 ので、小林が、その店舗に真っ先に入っていった時は、ほっとした。

 私は、そそくさと車を降りて、その店舗の扉を開けた。

 店内は、外見から察することも出来たように、それほど広くなく、三席のカウンタと、二つのテーブルがあるのみだった。

 で、入り口から一番奥のテーブル席で、小林がくつろいでいた。

 店内から落ち着いた雰囲気であったのは、自分たち以外に他に客が居なかったという理由ばかりでもなかった。

 ウッド調で整えられたシンプルな内装で、清掃も行き届いていたので、ターゲットを女性に絞っているのか知らん──我々は場違いではないか知らん──と思ってしまうほどだった。

 小林の向かいに座ると、私は、お世辞とも本音ともとれる言葉を漏らした。

 「実に雰囲気の良いお店ですね」

 「フフ、雰囲気は食べられないから、注文しないゾ、ヒヒヒ」

 「はあ──」

 私が腰をかけると、直ぐに店員がお水の入ったコップを運んできた。髭を生やしている四十代半ばくらいの男性で──白いエプロン姿だったので、厨房に居たのかもしれない。どかどかと水を置いて、焦点をテーブルに向けて、ぼそりを呟いた。

 「注文は? 」

 「今日は、あるのかい? 」と、小林の乾いた声が店内に響いた。

 「二人分か? 」と、怪訝な顔で小林を睨んだ。

 「ああ、二人分だ」

 「一人分しか仕入れられなかったんだが、薄くなっても構わないのか? 」

 「ソウカイ、仕方ないナア、まあ、それでも、構わんよ」

 それを聞くと、店員はさっさと立ち去ってしまった。

 何と無愛想な店員だろう──と、思いしいしい、姿が見えなくなるまで、目で追った。その後、私は、ぼそりと呟いた。

 「なんとも、無愛想ですね」

 「ハハハ──いつも、あんな感じさ」と、小林の乾いた声が店内に響いた。

 「小林さんは、このお店に何度も来ているんですか? 」

 「いや──食べるのは、二度目だナ。君はパスタにありつけるなんて、運が良いナア」

 「はあ──」

 小林が、ごくりごくりと水を一気に飲み終えると、いつもの饒舌な調子で話し始めた。話の内容は、仕事の愚痴が大半だった。

 私は、空腹を覚えつつ、その話を聞き流した。話の合間に、店内をきょろきょろと見回したが、置時計が見当たらない。時間が気になるということは、そこそこの時間の経っているのかもしれなかった。

 私のそんな心境を余所に、小林の話は、疲れ知らずだった。

 「アア、竹内──オレを見て、とても不味そうな顔をしているネ、って言うんだぜ、ヒヒヒ」

 「はあ──」

 「あの女にとっては、ナンでもカンでも、食べ物になってしまうから、適わないナア、ハハハ」

 「はあ──」と、私が返事をするだけで、会話が成り立つのだから、不思議だ。私は、腹の虫に気を使いながら、相槌を打った。

 「はあ──そういえば、竹内さんと、このお店に来たのですか? 」

 「竹内とだと──ヘヘヘ、そうそう、あの女と来たナ、フフフ──『まあ、あんて、活きの良いパスタなんでしょう』って感動していたからナ」

 「では、竹内さんもお連れすれば良かったですね」

 「ナアニ、竹内が一緒だと、ますます麺が薄くなってしまうからナア──あいつは、平気で二人前を注文するからたまらないぜ、ハハハ」

 麺が薄くなる? ──私は、先程の店員の話を思い出した。「材料が一人分」と言っていたので、そのことを指し示しているのかもしれない。しかして、材料とは、何であろう。

 小林は、なおもニヤニヤしながら、話をまくし立てる。

 「竹内のだらしない口に、麺が吸い込まれていくのが、イヤラシくてね、ヘヘッヘ──」

 と言っているときに、店員が漸くメニューを運んできた。

 コップと同様に、どかどかと皿が、テーブルに置かれた。そして、直ぐに店員が去って行ったが、今度はそれを見送るのを忘れてしまうほど、私は、皿を注視していた。

 皿の中央には、どす黒い麺がこんもりと盛られていて、最上段には、ソースと思しき赤い液体状のものが乗っていた。

 つまり、皿の白と、麺の黒と、ソースの赤──この三色で構成されていた。空腹な私に、突きつけられたが──動揺させるのに十分なパスタだった。

 あんなにも話をまくし立てていた小林は、無言でパスタを食べ始めていた。

 かつんかつんというフォークと皿がぶつかり合う音と、小林のあごを動かす音が、店内にこだました。

 私は、ごくりと唾を飲み込んでから、尋ねた。

 「あの──これは、イカ墨ですか? 」

 「ハハハ──」と、食べるのをやめずに小林は話を続けた。

 「ヤダナア──イカ墨だって? ソンナ、ツマラナイ物と一緒に──くちゃくちゃ、されちゃ、くちゃくちゃ、困るナア──」

 「はあ──」

 「じゃあ、なんなんですか? 」

 と言った瞬間、小林がフォークを止めて、じろりと私を睨んで、頭を指差した。

 「ア──アタマ? 」

 「頭だって? ──ハハハ」と、笑いながら、再び小林は、フォークを動かした。

 「ヤダナア──君は『頭を切る』って言うのかい? ──マア、そう言っても意味が通じるからナア。この店の横の横──くちゃくちゃ──に、床屋があってナア」

 「アッ、バーバリートリイ」

 「ア、ウン、ごくり。ナンダア、知っているじゃないか、ソウソウ、そこで、採れる新鮮な活きの良い髪の毛のみをペーストして出来るのが──くちゃくちゃ──この麺ってわけだ。産地直送、ここでしか食べられない逸品だナ」

 「え、じゃあ、この黒いのは、髪の毛──だったんですか」

 「バーバリートリイにお客が入っていくのを見ている人がいてナ、なかなか食べられないんだ──くちゃくちゃ──ア、髪の毛を切るときは、言ってくれヨ。君がトリイに居る間、オレは、この店で待っているからナア、フフフフフ」

 「はあ──」

 

 平成十九年十一月二日