ハナビ

花火

 愛知県G市では八月に恒例の花火大会が催されている。この時期には各地方方でイベントの一環として花火が上げられていることだろう。G市もその一つに過ぎないのだが、住人の私にとっては、数十年見続けている甚だ馴染み深いものである。

 花火が上がる光景を我が家から眺めようと思えば眺めることのできるのであるが、なにぶんベランダからでは隣の家の影と重なって大半が隠れてしまうし、屋根に登ろうにも同じ按配なので、どうにもうまく楽しめない。幼少の頃は、家族で窮屈にベランダから眺めたものだが、やはり、本当に花火を楽しもうというのなら、片手間をすること無しに、良く見えるところまで移動して満開の夜空の中に投影される鮮やかな光を仰ぎ見るべきである。すると、そういう見晴らしの良い場所には花火の観方を心得ている人達が既にいるわけで、ここ数年では、私は一人で出掛けては、群集に混じってひょっこりと首を持ち上げるわけである。どん、という花火の音が轟くたび、人人の歓喜やら、喝采が上がるのは、自分の動悸と相俟って心地が良い。それもまた、花火の醍醐味といえるだろう。

 今年も、私は例年の如くM町の海岸沿いへと足を運んだ。この場所から眺めると、ちょうど西にあたるところから花火が上がり、海原と夜空が背景となる寸法なので、一層輝いて見える。花火が上がり出した頃に家を出て、建物の合間からちらちらと覗かせる花火を見ながら十五分程かけて歩き、目的地についた頃には、もうすっかり人人でごった返していた。子供連れの家族や御年寄り、カップルなどの様様な年齢層であふれかえり喧騒としていたが、花火が上がる度に蒼然とした緊張感が漂うのは、どこかしら風情を感じさせるものがある。私は、高潮とした面持ちで、浴衣や団扇を潜り抜けて、適当な場所まで歩み進めると、周囲の人人と同じように西の空に目を向けた。

 星星を蓄えた雲一つない満開の夜空に、ひゅるひゅる──と、小さな点が覚束無く上昇してゆく。そして星の混じるか否かのところまでゆくと、弾けて美しい赤色の火花が散る。その様子は、まさしく「華」だ。きれいな円の花が夜空に咲き誇る──と同時に、どん──という盛大な音が、円の発生に遅れて響き渡る。それにつられて周囲が「おお」とか「わあ」とかいう歓声をあげる。がその頃には、いつのまにやら花火の光はふっと暗闇に消え入っている。一瞬に乱れ散る儚さに嘆息にも似た感動を覚えるか否かのうちに、次の点がひゅるひゅると上がっている。

 花火には、一瞬の美しさがある。その美は普遍の美よりも儚げで無情であるが、心を打つ。その一刻を逸したのなら、同じ感動はもう味わえない。特に大観衆の中で眺める花火は、より味わい深い。同じ場所の人人と共有した花火を見上げているのだが、それぞれが違った思いを抱き、思い思いの声をあげる。それゆえ、小気味良く上がる花火にはどれとして同じ印象はなく、常に変化し続ける。一瞬間の連続が、徐々に変化してゆく過程を鑑みると、どこか不思議な気分になるが、そのことも花火の魅力の一つといえるだろう。

 花火大会も半ばほどになると、私は群集の中である一つの変化に注視させられた。中弛みして、少しばかり意識が散漫となったからかもしれない。何気ない変化に気づいて、ふと、空から視線を逸らすと、人ごみの前方にその声の主らしい親子がいた。先ほどにはいなかったようにも思う。きっと、その親子は途中からこの海岸に花火を観に来たのだろう。子供が父親に肩車させられ、群集からちょこんと抜け出たので、私の意識を浚ったのかもしれない。確かに微笑ましい光景であったが、私自身、どうしてその親子が気になるのか、合点がゆかなかった。にもかかわらず、私の目と、耳はその親子の元に釘付けになっていた。

「花火、きれい。」

 どん、という音に消え入りそうなほどの子供の声が私の耳に届く。その後に続けて太い声が響く。

「そうか、来て良かったな。」

「うん。」と、快活に返される。「でも、お母さんと一緒に来たかったね。」

 無邪気な声に父親の返答がすぐにはない。後ろ姿からでは表情を察することができないが、父親は、動揺しているのかもしれない。

 ぴか──と花火の明かりがよぎり、再び、どん、という音が轟く。

「そうだな。きっと、お母さんも空から花火を見ていると思うよ。」

 予想外の返答に私は、口を唖然とさせられた。その言葉の表現と父親の動揺からするに、母親は既に他界しているということか。

 いとまも無しに、子供の声は続く。

「そう、お母さんも花火を見ているんだ。良かった。お空からでもちゃんとマンマルに見えるかな。」

「花火はどの方向から見てもマンマルに見えるんだよ。だから、きっとお母さんもコウタと同じマンマルの花火を見ているよ。」

「じゃあ、じゃあ。お母さんは、お空からコウタも見ているのかな。」

「うん、ずっとコウタを見守っているんだよ。」

 肩車の上の子供が嬉しそうに両手を突き上げた。

「光の穴は天国の隙間なの。あそこのどこかからお母さんが見ているんだよね。どの星にいるのかな。」

 星が天国の隙間──私は、妙にしんみりとした心持ちで上空を見上げた。夜空に輝くあまたの星のただ一つから、コウタの母親が花火を楽しみ、そうしてコウタを見守っている──そう思うと、夜は透き通るほどの幻想的な世界に変わってゆく。

 ひゅるひゅる──星のような天が上昇し、上空で弾ける。思えば花火は生と死の象徴のようだ。美しく輝き、散ってゆく。だが、その灯火は消えず、きっと夜空を駆け抜け、星となり、恒久に輝くことだろう。

 どん──という音につられて、わあ、という歓声が沸きあがった。言いようのない感動を覚えながら、しばし花火に酔いしれた。

 

 平成十三年十二月十六日