アマド

雨戸

 僕は、母が、雨戸を閉めているのをじじと見ていた。

 家の外では、酷い雨だ。テレビの天気予報をよりどころにすれば、台風であるという。台風であろうがなかろうが、酷い雨だ。

 家の外では、酷い雨だから、酷い音を放っていた。

今は、時間を拠り所にすれば、昼間であるという。

 しかし、昼間であろうが、外のどす黒い、狂ったように蹲る分厚い雲に阻まれて、夜であったとしても、僕は、疑わない。

 とにかく、家の中で、煌々と電気をたいていて、屋根が、悉く酷い雨を防いでいてくれるから、台風であるとしても、僕の心は、何とか落ち着いていた。

 そして、母が、雨戸を閉めていた。

 雨戸を閉まりさえすれば、僕たちは、外の喧々囂々の蚊帳の外になる。

 どす黒い、陰鬱な雲をこれ以上見なくて済むようになるなら、僕の心が一層晴れやかになるはずだ。

 と、そこへ、母の雨戸の閉める音が止んだ。

 「どうしたの? 」と、尋ねると、  「外に親子連れが居る」という。

 母が、濡れながらも、閉めかけた雨戸から身を乗り出して、叫んだ。

 「そんなところに居たら危ないから、こちらにおいで」

 とにかく、酷い雨の音だから、

 「お願い、雨戸を閉めて」と懇願する。

 「あ、親子連れが、こちらに気づいたみたい」

 異常な不安が僕を襲う。

 「気づいたってどういうこと? 」

 「こっちに来るみたい」

 「来るって言っても、まさか窓から入ってくるの? その親子連れは何処に居るの? 」

 母は、あまりにも「そちら」に夢中で、僕には「気づいてない」のかもしれない。

 ひたすら外を見ながら、一生懸命に外を見ている。

 「さあ、おいで」  と、母が言った瞬間に、辺りが真っ暗になる。

 電気が切れたみたいだ。

 雨戸が閉まる音がする。

 とにかく、真っ暗だけれど、酷い雨の音が、遠のいた。

 「もう、大丈夫」という母の声。

 「暗いから、何も見えないよ」と、僕が言おうとしたら、たちどころに、悲鳴が響いた。

 「きゃああああああああ」

 悲鳴の主は、母であるような気がする。

 「どうしたの? 」と、今にも踊り出しそうな心臓を押さえながら、漸く声を発すると、悲鳴には、度度「逃げて」という文句が混じるようになった。

 僕は、とにかく、立ち上がろうとしたが、直ぐに断念しなければならないことに気づいた。

 なので、暗闇の中、這うように、手探りで進んだ。

 逃げるといっても、何処へ逃げればよいのか判らない。

 何から逃げているのかも判らない。

 と、思いつつも、僕は、二階の自分の部屋に閉じこもる覚悟をし、四肢を動かした。

 壁を探し当てたら、頼りに漸く立ち上がり、伝って、ゆっくりと進んでゆく。

 母は、以前「逃げて逃げて逃げて逃げて」と、叫び続けている。

 それを聞いていると気が狂いそうになる

 でも、手は、壁を頼りにしていないといけないから、耳を塞ぐ余裕もない。

 震える四肢と感覚が、漸く階段を探し当てたので、僕は、ぎこちなく階段を登ってゆく。

 暗闇で階段を登るのは、こんなに難儀なものなのだと、飽きれながら登ってゆく。

 僕の部屋に、安堵が待っている気がしたので、僕の心は、更に焦りを感じるように高鳴る。

 登ってゆくに連れて、母の悲鳴が遠のいてゆく。

 母に何かがあったのに違いない。

 でも、この悲鳴が続く限り、母は、健全だ──と、僕は、自身を偽っていないと、気が変になりそうだ。

 もうそろそろ、二階に辿りつく筈だが、雨戸がすべて閉まっている為か、真っ暗だ。

 僕は、僕の部屋の扉のノブを探し当てて、扉を開き、部屋に入るが早いか、慌てて閉めた。

 真っ暗だ。でも、ここは、僕の部屋に違いない。

 扉にカギを掛けれないので、暫く、こうして、内側のノブを引っ張って、抑えて、あたかも、壁であるかのように振舞おうと心に決めて、二、三度、深呼吸をすると──雨戸で締め切っているにも関わらず、なおも降り続ける大雨の音が、僕の心を嘲うように鳴り続けた。

 あれ──母の叫び声がしているのかな、と雨の音をかぎ分けるように耳を澄ますと、僕のおよそ期待していなかった音が、ゆっくりと、そして確実に響いているのを確認することが出来た。

 そして、それが、階段を確実に登ってくる足音であるとわかったときには、もはや、僕の心臓の打ちつける音に覆い尽くされようとしていた。

 僕は、少なからず、足音の母のものだと期待しようと努めたが、しかし、僕の手は、内側の扉のノブを更に強く握り締めて、どんなに引っ張られても維持でも開けるものかと──まだ、引っ張られてもないにも関わらず──強く意思を示した。

 で、足音が、いよいよ、僕の扉を挟んで、向こう側でぴたりと止った。

 いよいよ、ノブの向こう側に手がかかるんじゃないかと思い、更に力を入れた瞬間──で、あったので、僕は、あまりにも不意を突かれた。

 というのも、僕の直ぐ耳元で「お母さん」という声がしたからだ。

 

 平成十九年七月十九日